看護助手ってどんな仕事?専門知識が無くても大丈夫?東京女子医科大学病院でのアルバイト事情を徹底調査!
目次
こんにちは!あるバイの中の人です!
東京都新宿区に位置する東京女子医科大学病院。
この病院は、都営大江戸線「若松河田駅」から徒歩5分ほどの場所にあります。
今回は、そんな病院で看護助手として働いた大学生時代の体験談をご紹介します!
投稿者は18歳でアルバイトを始めた男性大学生。
働いていたのは1990年代半ばで、期間は3年6か月。
週5日のシフトで病院内の業務を支えながら、夜間部の授業との両立を図っていたそうです。
この記事では、看護助手として働くことになった経緯や日々の仕事内容、楽しかった出来事や大変だった瞬間まで、リアルな体験が語られています。
大学病院という特別な職場でのエピソードは、医療の現場に興味がある方もそんなアルバイトを知らなかった方もぜひご参考にしてください!
アルバイターの基本プロフィール
- 年齢:18歳
- 職業:大学生
- 性別:男性
- 働いていた時期:1995年頃
- 働いていた期間:3年6か月
- シフト:週5日
東京女子医科大学病院バイトに応募した経緯
Q
東京女子医科大学病院にどのように応募しましたか?
A.大学に入学してから、お金に困る生活が続いており、なんとか安定したアルバイトを見つけたいと思っていました。
そこで、授業料の安さと、昼間働けるメリットを考えて大学を夜間部に異動しました。
それとほぼ同時期に、アルバイトを探すために購入した雑誌に病院の看護助手募集が掲載されていました。
病院のバイト募集が載っている事は、かなり珍しく、他の病院からの募集は見た事がありませんでした。
何をするのかの見当もつかない状態でしたし、やたらと時給が高い事にも不安はありました。
しかし、昼間の時間を安定して使い、夜の授業開始に間に合う様に仕事を終わらなければならなかったので、思い切って電話を掛けました。
そして面接を行う事になりました
Q
東京女子医科大学病院に応募した理由を教えてください。
A.大学の夜間部に異動して、周りの人達のほとんどが昼間にきちんとした仕事をしている人ばかりになりました。
自分も安定した仕事に就きたいと思っていました。
まず時給の高さが目を引きましたが、それに加えて時間帯が良かったのが大きかったです。
17時過ぎに始まる大学夜間部の授業に間に合う必要があったので、8時~16時の勤務がとても都合が良かったのです。
また、残業がほとんど無いというのも同じ理由で好条件でした。
それでも、どんな仕事なのか全く見当がつかなくて不安だったのですが「未経験OK」の記載を信じたのと、今まで全く知らなかった分野に触れてみたいという好奇心があって、とりあえず挑戦してみようと思い応募を決めました。
Q
東京女子医科大学病院の面接はどんな感じでしたか?
A.面接官は看護部長と事務長でした。
「長所と短所」を聞かれた事以外はあまり憶えていませんが、人と接するときの態度やマナーを見られていたと思います。
病院は対人の仕事なので、協調性があるか、気遣いができるかといった事を聞かれました。
病院だからといって医療知識が必要な質問は1つもされませんでした。
東京女子医科大学病院バイトの実態
Q
東京女子医科大学病院でアルバイトをして良かったこと、嬉しかったことは何ですか?
A.まず1番良かったことは、安定した収入を得られるようになった事です。
週5回、決まった時間にアルバイトをして、学生という事も加味されてか残業はほとんど無く、時間には職場を出ることができる状態でした。
それでも、大学生として生活するのに十分な賃金を頂くことができていました。
そして、親や周りからの受けが良かったです。
病院で仕事をしているというだけで、どんな仕事かを詳しく説明しなくても、立派に働いていると思われるのは悪い気はしませんでした。
あとは、大学病院にいたおかげだと思いますが、時々芸能人の患者さんに会う事がありました。
1度あった出来事で、入院中に病院を抜け出して勝手にランニングをしにいってしまう某大物歌手がいて、それを何人ものスタッフが探しに行くという事件がありました。
私は見つけられませんでしたが、面白い体験でした。
Q
東京女子医科大学病院のアルバイトはきつかったですか?
A.私が働いていた部署は特にきつい部署ではありませんでした。
開始から2時間ぐらいは毎日やる事が決まっていて、坦々とそれをこなしてから、その日のイベント的な仕事に対処していくという感じでした。
なので、仕事がたまって時間に追われるような事がなかったので、ギスギスした感じはほとんどありませんでした。
そんな私達看護助手を監督する看護師さんが、いつも1人ついていました。
普段は2~3年目の中の誰かなので、和気藹々と冗談を言いながら仕事をできるのですが、稀に年配の怖い看護師さんが担当になる事がありました。
病院では間違いが患者さんに影響してしまうので、確認事項が非常に多く、少しでも不安な事は必ず誰かに確認するように指導されていました。
しかし年配のその看護師さんに聞くと、必ず「だから~、何で分かんないの?」といった感じで、八つ当たりのような対応をされていました。
初めは声を掛けるのが本当に嫌でしたが、ある時返事に「勉強になります!」と真剣な口調で答えると、気分が良かったのか満足気になりました。
それからは、ことあるごとに「勉強になります!」と言って、真面目な感じを出し続けました。
すると、そのうち、その看護師さんの私への当たりが柔らかくなり、次第に看護助手全員を見下すような態度もなくなっていきました。
看護師さんは志の高い人が多いので、真剣に取組んでいる姿勢を見せることで、仲間として受け入れてもらえるのかもしれない、と肌で感じた出来事でした。
Q
東京女子医科大学病院ではどのようなお仕事をしていましたか?一日の流れを教えてください!
A.私が働いた部署は手術室併設の中央材料室という所で、基本的には当日・翌日の手術器械準備と、手術で使用した手術器具を洗浄するのが仕事でした。
朝はまず、その日の手術で使用する手術の予備器械を準備し、続けて翌日の手術器械を準備します。
全ての手術器具は完全に無菌にするために、滅菌を行う必要があります。
そのために、専用のコンテナに入れるか、不織布に包んでから、高圧蒸気滅菌機やエチレンオキサイドガス滅菌機に入れるのです。
これらが開始から決まった業務になります。
しかし、その間に手術患者さんがストレッチャーから手術用ベッドへ移動するのを手伝ったり、手術準備をする看護師さんの手伝いをしたりします。
それらの仕事が終わる頃には、終了した手術の使用済み器械を看護師さんが運んでくるので、それを洗浄できるように整えて洗浄機にかけるか、手洗いをします。
洗浄が終わった手術器械は棚に戻したり、翌日使えるように滅菌したりします。
翌日以降の手術内容を把握して、手術器械の在庫調整をする役割も担っていました。
これらを何人かで分担して行うので、単純作業が続くような辛さはありませんでした。
Q
東京女子医科大学病院でアルバイトをしていたときの珍事件、面白出来事を教えてください!
A.職員旅行でマザー牧場に行ったり、夏に仲の良い看護師さんたちとキャンプに行ったり、忘年会で飲み明かしたりと、仕事以外でのイベントがたくさんあり、看護師さんの意外な一面を見る事ができました。
看護師さんは真面目な人が多く、普段はしっかりしている人の、意外にだらしない姿をたくさん目の当たりにしました。
逆に看護師さんの凄い部分に触れた事もありました。
職員旅行で行った遊園地でゴーカートに乗った時に、先輩の悪ふざけが過ぎてクラッシュし私のカートが横転しました。
その時、別のカートに乗っていた看護師さんが瞬時にカートを降りて駆け寄っていたのです。
それまで楽しく遊んでいた人が、救急患者に対応する看護師の顔に一瞬で変わっていたのです。
普通の人が呆然としてしまう時に、瞬時に駆け寄る事ができるプロの姿に驚いた事、あの時の切り替わった「本物の看護師の顔」は今でも忘れられません。
東京女子医科大学病院バイトの条件
Q
東京女子医科大学病院の研修はありましたか?
A.1人の先輩にくっついて一緒に、業務を行いながら覚えていく学び方でした。
研修はありませんでしたが、全ての業務ができる先輩が2人と、ほとんどの業務ができる人が4人いたので、誰に聞いても正しいやり方を教えてもらう事ができました。
手術器械の洗浄などは一緒にやって教えてもらうと、すぐに出来るようになりました。
しかし翌日の手術器械の準備が大変でした。
手術器具1つ1つの名前を覚えるのが難しかったです。
でもそれが大変な事は先輩達も分かっていたので、作業の合間などの空いた時間には器械名を憶えるための時間をとってくれたので、1か月かからずにほとんどの器械名を憶える事ができました。
滅菌機の掃除も大変な仕事でした。
手術の無い土曜日に行う業務だったのですが、役に立てる様になりたいという思いで、率先して土曜出勤して教えてもらい、早い段階で覚える事ができました。
土曜の仕事は半日だったので、仕事終わりに先輩と昼食を食べに行ってご馳走になったのは良い思い出です。
Q
東京女子医科大学病院にはどのような人が働いていますか?雰囲気など教えてください!
A.雰囲気はとても良かったです。
看護助手の中で10代は私だけで、20代が5人、30代が1人で全員男性でした。
40人以上いる看護師さんは全員女性だったので、男性は希少でした。
なので、力仕事は、ほとんどやっていたと思います。
看護助手のリーダー的存在の30代男性の先輩は、業務の事は何でも知っており、看護師さんたちが聞きに来るぐらい頼れる人でした。
その先輩が音楽好きで、仕事中いつもCDで音楽をかけており、他の先輩達も新しく知ったおススメの曲は、そこで披露するのが慣習になっていました。
看護師さんも手の空いた時に、自分の推しアーティストの曲をかけにくる人がたくさんいました。
人生で1番膨大な数の楽曲に触れた時期でした。
そんな感じで、一部の年配の人を除いて看護師・看護助手の垣根はほとんど無く、気軽に話せる関係でした。
Q
東京女子医科大学病院の時給・シフトはどのような仕組みでしたか?
A.看護主任が看護助手の勤務管理を行っていましたが、年末年始や夏休みの調整をしてくれている感じでした。
普段の勤務では、シフトを曜日で決めている人がほとんどでした。
曜日単位で決めていたといっても、少ない人でも週3日は出ていたので、顔を合わせない人はいない状態でした。
なので、出られない日が発生すると、まず看護助手同士の誰かに相談する感じでした。
出勤できない時は看護主任に報告するのですが「この日休みますが、代わりに誰々さんが出てくれます」と段取りしてから報告する事が多かったです。
私は週5日入ると宣言してアルバイトを開始していたので、自分から変更しない限りシフトに入れないという事はありませんでした。
Q
東京女子医科大学病院のシフトは入りやすいですか?
A.曜日固定の人が多かったので、曜日を変えたりするのは難しかったです。
そのかわり、1度その曜日に入れば、長期で続けることが可能でした。
Q
東京女子医科大学病院の服装や髪型の決まりはありましたか?
A.手術室併設の中央材料室だったので、手術衣に着替えてディスポキャップとマスクを付ける状態でした。
着替えるので、服装・髪型の縛りはありませんでした。
Q
東京女子医科大学病院の社割や特典、まかないなどはありましたか?
A.年に2回の健康診断が無料で受けられました。
まかないではありませんが、職員食堂は格安でした。
学生にとっての東京女子医科大学病院バイト
Q
東京女子医科大学病院のアルバイトは高校生に向いていると思いますか?
A.高校生には向いていないと思います。
直接患者さんと触れ合うことは少ないですが、自分が滅菌した器械などは患者さんの手術に使用されます。
もちろん色々なチェックが入りますが、間違いが許されない仕事なので、それ相応の責任感が必要になります。
自分が患者さんの健康に影響を及ぼす距離に居るというのは、高校生では荷が重いのではないでしょうか。
Q
東京女子医科大学病院のアルバイトは大学生に向いていると思いますか?
A.大学生が見分を広めるためには良いかもしれません。
自分が患者さんの健康に影響を及ぼす距離に居るというのは、高校生では荷が重いかもしれませんが、大学生であればその責任感を培うのに良い経験になるかもしれません。
そして年の近い先輩達の中で見聞きすることで、学ぶべきことはたくさんあるのではないでしょうか。
Q
最後に、東京女子医科大学病院でアルバイトしようとしている人に一言!
病院で働くと安定した収入が手に入り、親には喜ばれると思います。
しかし、病院は人の生死を扱う場所なので、自分の仕事に責任が伴う事もあります。
自分が患者さんの健康に影響を及ぼす距離に居るという事が分かっているのであれば、是非やってみると良いと思います。
看護師さんたちは20~30代が多く、話が合う人もたくさんいるはずです。
そういった少し年上の先輩たちからのアドバイスや、見聞きして学ぶ知識は自分の人生設計を大きく変える事になるかもしれません。
私は工学部の大学生でしたが、病院でアルバイトをしたことがきっかけで、その後看護師を目指しました。
何とか国家試験にも合格して、今では看護師でもベテランの域です。
自分がどんな事に向いているかは色々と試してみなければ分かりません。
あなたが向いているかを見極める為だけにでも、医療系のアルバイトに挑戦してみてはいかがでしょうか。
東京女子医科大学病院アルバイターの特徴
東京女子医科大学病院アルバイトのお仕事の特徴
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